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トップページ > ご贔屓さんのクローゼット No.33

きもの英をご贔屓いただいているお客様のクローゼットを拝見させていただきました。

イメージ 小学生の頃から憧れた文楽の世界で、三味線一筋60年。

プロフィール

昭和28年に十代竹澤弥七氏に入門し、三味線一筋に歩んでこられた竹澤團七師匠。国立劇場や文楽協会の数々の受賞のほか、長年の功績により大阪府知事表彰や文化庁長官表彰も受けられている現代の文楽の牽引者のおひとり。温厚な笑顔から、芸への情熱がのぞきます。大の愛犬家という意外な素顔もチャーミング。

“遅れてきた新人” として。

生まれ育った名古屋は東西の芸能にふれられる場所で、戦後の貧しい時代ながら環境には恵まれていましたね。文楽を初めて見たのは小学生の時、芸事好きの姉に連れて行かれた『仮名手本忠臣蔵』。勘平切腹の場面で、腹を切っているのになかなか死なずにしゃべっているのを見て「おかしな芸能だなあ」と思ったのがきっかけで通いつめるように。義太夫節の音曲が好きになってハーモニカで真似したり…ちょっと変わった子どもですね(笑)。その後、好きが高じて高校3年で三味線方に入門。普通は5、6歳頃から邦楽を身につけた人しか入れない世界で、20歳前で入った私は異例中の異例でしたが、戦後で若い人がいなかったので可能だったのです。のちに人間国宝になられた竹澤弥七師匠のもとでの住み込み修行は、暗いうちから起き出して、掃除、洗濯、食事の支度、お子さんの世話、その合間に稽古でしたが、大好きな三味線ができてご飯が食べさせてもらえる、それだけで幸せでした。

文化の灯を守り継ぎたい。

初舞台は入門から半年後の昭和29年の正月。前年にテレビ放送が始まり、たまたまその舞台がテレビ中継されて、母は街頭テレビで私の姿を見たそうです。それから約60年…私の自慢は、一度も病気で舞台を休んだことがないことです。故中村富十郎さんが「一番大事な芸は健康だ」とおっしゃったんですが、本当にそうだなと思います。あとはもう、一生が勉強ですね。伝統芸能は、まず伝承の型をしっかりと身につけてから、自分の工夫を加えていくものです。そのためには高い教養と感性が必要です。今は社会も人間も昔と変わって、継承への課題は多くなる一方ですが、大衆に支えられ日本の文化の一端を担ってきた文楽の灯を消すことがあってはなりません。そのためにも、より多くの方にご覧いただきたいですね。私自身も精進を続けつつ、できる限りのことをしていくつもりです。

きもの英 ご贔屓さんのお気に入りは…

宝塚で舞台に立っていた娘の縁で手にした楽屋のれん。 宝塚で舞台に立っていた娘の縁で手にした楽屋のれん。

今では結婚して母となっている娘ですが、若い頃は宝塚歌劇団におりまして。その頃お世話になった方から英の楽屋のれんを贈っていただき、初めて英の存在を知りました。楽屋は人の出入りが多く、汚れてしまうんですが、そんな時でも気軽に洗えるのが重宝しましてね。すっかり気に入って、その後、自分でももう一枚作ることに。担当の方が楽屋まで来てくださり、一緒に原寸大の紙を前にああでもないこうでもないと意匠の配置を考えたことも楽しい思い出です。

着やすく気軽に扱えるので楽屋着や稽古着に。

普段はほとんどジーパンで過ごしている私ですが、畳に正座する稽古時や楽屋では、やはり着物がラクです。公演の時は、楽屋に入るとまず和装の楽屋着に着替えます。夏はゆかたが楽屋着になりますが、袷の時期は、ゆかたの上からこういった楽屋着を着るんです。これらは20年近く着続けています。稽古着としても重宝していますよ。ちなみに本番用の紋付も、汗でびっしょりになりますから英であつらえていますよ。

着やすく気軽に扱えるので楽屋着や練習着に。
大好きな寄席や、知り合いの襲名披露の会にも。 大好きな寄席や、知り合いの襲名披露の会にも。

ちょっとあらたまった外出となると、スーツにネクタイよりも着物が多くなりますね。なかでもこの紬の羽織とちりめんの着物は、ちょっとした集まりや、観劇、食事などにも気兼ねなく着られて、長く愛用しています。妻とそろって和服で出かけることも多いです。英にも必ず和服で伺うことに決めてるんですよ。大好きな寄席に行く時も、たいてい着物です。先日は知り合いの襲名披露の会の日が雨になってしまったんですが、英の着物で気楽に出かけられました。


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