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英の創業物語 聞き書き・武田豊子一代記

合成繊維の発展とともに

青年職員 のちに母の伴侶

ナイロン漁網の評価も高まってきた頃、母は販売会社の人々と福岡県庁の水産課に挨拶を兼ねて指導を仰ぎに行きました。担当の青年職員は、母たちが漁についての知識が皆無なことを知ると、「よくそんな知識で漁網を売ってらっしゃいますね」とピシャリと言ったそうです。しかしその後、彼はさまざまな専門知識を母に授けました。漁場に一緒に行って指導してくれることもありました。この青年職員こそ、のちに母の伴侶…私の父となった人でした。ふたりが一緒になったのは、これより少し先の昭和29年のことです。

話を戻しましょう。漁網の浸透と前後するように、新たな商品としてナイロン靴下やストッキングが開発されるようになり、母も漁網からこれらの商品の卸販売へと担当が変わりました。靴下といえば、当時の主流は綿で、非常にすり切れやすいという欠点がありました。そこに登場したナイロン靴下は、強さが一番の特徴でした。もっとも、初期のものはかなり厚手で、今とは比べようもないほど粗悪な品質でした。しかも綿のものが3足100円だった時に1足200円から360円とかなり高価でした。また染料も開発初期だったため、よく色落ちしました。母は当時おつきあいしていた父にナイロンの靴下をプレゼントしたのですが、次のデートの時「僕の足を見てください」と靴下を脱いで見せた父の足は、靴下の紺色がそのままついて、まるでもう一足履いているように見えたとか。今ならきっと吹き出してしまうようなこんなことも、当時は真剣に受けとめたそうです。色がはげた靴下を前に、技術者と額を寄せ集め、知恵をしぼったのでした。

母は販売会社の人々と福岡県庁の水産課に挨拶を兼ねて指導を仰ぎに行きました

そう、技術者をはじめ、関わる人々はみな、新製品開発になみなみならぬ情熱を傾けていました。改良につぐ改良、新製品の開発につぐ開発で、悪い点はすぐに直され、また新しい織物の開発がされていきました。そのなかで、注目を浴びる生地も誕生していきます。初めて広幅で織られたのは羽二重のような風合いを持つ生地で、流行のパフ・スリーブもきれいに仕立てられたので爆発的なブームとなりました。次に大ヒットしたのは今でいうオーガンジー風の薄物の織物で仕立てたスカーフです。復興の兆しが見え始めた日本で、手軽におしゃれが楽しめるスカーフは、女心をおおいにとらえました。その間にも生地の開発は進み、ナイロンとレーヨンの混紡のサージ、トロピカル、ポプリンといったものが次々と発売されました。当時は学生服やスカートなどの洋服に使用されていたこれらの生地で、母たちは、着物をつくることを思い立ちます。ナイロンデシンに芯を入れて、名古屋帯や半幅帯にしたものもつくりました。多くの人々が戦災で着物を失ってしまっていたうえに、当時は普段着として着物をお召しになる方がまだまだ普通にいらっしゃった時代。工夫を重ねて売り出した着物は、お客様に大歓迎されたそうです。

ナイロン発表会

母の生きた時代は、繊維にとってのまさに新しい夜明けでした。それが今の洗えるきものだけでなく、医療機器や、果ては宇宙開発の礎にさえなったのだと考えると感慨無量です。

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