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英の創業物語 聞き書き・武田豊子一代記

第8章 そして独立へ

銀座のナイロン・ショップを盛り立てるべく奔走するなかで、母はまた、待望の子どもを授かることになりました。東京に出て3年後、ようやく私を身ごもった時の母の喜びは、言葉にできないほど大きなものでした。それを象徴するのが妊娠中のエピソードです。運悪く盲腸で倒れ手術が必要になった時、母は胎児への影響を懸念するあまり、医師に頼み込んで最低限の麻酔で手術に挑んだというのです。そんな凄みさえ感じる愛情を一身に担って、私が生まれたのは7月。とても暑い日だったと、母はことあるごとに語ってくれます。さらに3年後には妹が誕生、わが家はあたたかな幸せの灯がともったのでした。

銀座のナイロン・ショップを盛り立てるべく奔走するなかで母は待望の子どもを授かることになりました

しかしそれからが大変でした。当時は働く女性のサポートが今ほどにも整備されていない時代。すでに同居していた叔母は嫁ぎ、家にいるのは80歳になる曾祖母だけで、頼ることもできません。いい加減な仕事はしたくない、でも子どもが病気をすれば会社を休まなければならない…母は子育てと仕事の板挟みになり悩みました。そして自分の家で働くのならば少しは時間の融通もきくだろうという判断から、「独立」を決意したのです。父と相談して、父はそのまま会社勤めを続け、母だけが退社して自分で商売を始めることになりました。

商売といっても母は合成繊維のことしかわかりません。そこでその頃ナイロン・ショップでよく売れていた洗えるきものを商うことにしました。この時、独立の資金となったのが、みなさま覚えておいででしょうか、父の退職金で手に入れておいた生駒の土地、これを売却したお金です。母はそれで反物を仕入れ、呉服のかつぎ行商を始めました。さらに独立にあたっては、ナイロン・ショップ時代のお客様が新しいお客様を紹介してくださったり、借り入れの保証人になってくださったりと、たいへん力になってくださったそうです。

集合写真

また、その頃は着物だけでなく問屋さんが売り残したスカーフやハンカチ、靴下など、いわゆるハンパものを段ボール単位で分けてもらい、日曜日ごとに近くの幼稚園などで行われるバザーに父とふたりでリヤカーに荷物を積んで売りにいったりもしたそうです。夕方には仕入れた金額の5、6倍にはなったとか。そういった細かいことの積み重ねで、なんとか商売も軌道に乗ってきました。やがてお客様が増えるにつれ、住まいの保谷市から毎日何十反もの反物や帯をかついでお得意様のお宅をまわるのが大変になってきました。折しも、小倉にいた伯母が東京に出てくることになり、渡りに舟とばかり同居してもらって、母は商売にのめり込んでいったのです。

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