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英の創業物語 聞き書き・武田豊子一代記

第20章 母の故郷を訪ねてII〜上海紀行〜番外編

上海での宿は浦江飯店というホテルにしました。母の住んでいた日本人租界と勤めていた外灘のちょうど中間に位置するところです。ホテルの前には外白渡橋という大きな橋が架かっていました。その橋の袂に立った時、思わず涙が溢れてしまいました。少女時代の母が毎日渡った橋、母が見たであろう景色、母と同じ空気、母と同じ空の下。
いつも母が話してくれる外灘に向かって歩きました。そこは昔の建物がそのまま残っているそれはそれは素晴らしい街です。ゴシック様式の石造りのビルディングは当時の国際都市上海の象徴です。そこに有名な和平飯店があります。老年爵士楽団、平均年齢75歳のオールドジャズマン達のバンドです。ジャズが大好きで踊ることが大好きだった母。「まだ子供だったから中には入れなかったの。」と楽しそうに当時を振り返る母に見せようとジャズの生演奏を聴きに行きました。ジャズメンの中には母とそんなに年の変わらないような人もいらして、ずっとずっと長いこと演奏していらしたんだろうな、もしかしたら母ともどっかですれ違ったかもしれないな、なんて思ったらまたまた涙が溢れて。どうも上海に来てから泣き虫になったようです。
旅立つ前に母に上海行きを告げました。「ホテルは浦江飯店にしたよ。」と話すと「そこはおじいちゃんが働いていたところよ。」と教えられ、これには私の方がびっくり致しました。浦江飯店というのは当時はチャップリンなど外国の要人達の泊まる一流ホテルでした。腕の良い理髪師だった祖父はそういう方々に呼ばれ、ホテルで散髪をしていたらしいのです。祖父の得意料理だった真っ黄色のカレー。ホテルでインドのコックさんに教えてもらった本場仕込みと自慢していましたが、ホテルのラウンジで名物カレーとして黄色いカレーが饗されていたのはたまげました。もちろん食べましたよ、でも私の幼い頃の記憶の味とはずいぶん違いましたが。

上海で幸せな少女時代を送っていた母、敗戦で何もかもなくして日本に引き上げた母

上海で幸せな少女時代を送っていた母、敗戦で何もかもなくして日本に引き上げた母、それから闇屋や漁網の行商をえてやがて「洗えるきもの専門店 きもの英」を作ってくれた母。その生涯を思う時、「ありがたくて涙が出る」これが正直な気持ちです。激動の時代を生きた母へいっぱいの愛情と尊敬をこめて「創業物語全20章」を終えたいと思います。長い間のご愛読ありがとうございました。

「きもの英」は新たな51年目に向けて歩いて参ります。
どうぞこれからもご愛顧賜りますよう社員一同心よりお願い申し上げます。

闇屋や漁網の行商をえてやがて「洗えるきもの専門店 きもの英」を作ってくれた母
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