第5章 大阪で小売店を初体験

きもの英・創業物語
~ 聞き書き・武田豊子一代記 ~
第5章 大阪で小売店を初体験

母にとっては、初めての小売店体験です。店頭には、広幅の生地や靴下などが所狭しと並べられていました。ナイロンとレーヨン交織のシャルマン、混紡のギャバジン、ナイロン100%の長繊維のツイル、デージープリント等々、見たことがないような生地もたくさんありました。それまで卸業しか経験のなかった母は、勝手がわからず、ずいぶん戸惑ったそうです。毎日の金銭の出し入れにはじまり、洋服の洋尺、新しい生地の知識…最初の1ヵ月は必要な知識を身につけるだけで四苦八苦でした。しかしこのナイロン・ショップ時代に、母はいろいろな方から商売の基本になることをたくさん教えていただいたのでした。

また、販売会社の社長からも、商売の根本を教えていただきました。なかでも「お客様からお小言を頂戴した時こそが、チャンス。トラブルを上手く解決してこそ本当の意味の信用が得られる」という言葉は深く胸に刻まれたようで、ことあるごとに社員に申しておりました。他にもコートの着せ方、履物の揃え方に至る細かいところまで実にきめ細かにご指導いただいたそうです。床が汚れていたのに気づかずにいて厳しく叱責を受けた時などは、わずらわしく感じたそうですが、「自分の店を持って初めて理解できた」と語っていました。万全の態勢でお客様をお迎えするということがいかに大切か、どんな心構えでなければいけないのか。社長はその時、床の汚れそのものよりも母たちの気配りのなさを叱責されたのだということが、身にしみてわかったのです。

こうしてこの時代にいろいろな方から教えられた心構え、身につけた小売りのノウハウが、のちに母が手がける商売の土台となっていったのでした。