第7章 ナイロン・ショップ時代

きもの英・創業物語
~ 聞き書き・武田豊子一代記 ~
第7章 ナイロン・ショップ時代

新しい職場は銀座4丁目のナイロン・ショップ。華やかな都会で、習慣や言葉の違いに戸惑いながらも、母は先頭に立ってディスプレイから商品企画まで、さまざまなアイデアを実現していきました。そして次々とヒット商品を世に送り出すことになります。

さらに空前のヒットとなったのが「イタリアお召」です。生地はクリンプナイロン30パーセント、レーヨン70パーセントの大島風の織物。それまでは広幅の生地で着物をつくっていたのを、これは最初から着物専用に小幅に織った生地を使用したのも特徴でした。一反が1650円と安価なこともあり、それこそ飛ぶように売れたそうです。当時銀座では、短い茶羽織とのアンサンブルが流行っていました。一反半あればそれがつくれるというので、反物を半分に裁ったものと一反とを同じ柄同士紐でくくってワゴンに入れ店頭に出すと、1日に20反、30反と売れていったそうです。

こうして息をつく間もなく働いた銀座のナイロン・ショップ時代に、母はさまざまな方とのご縁に恵まれ、やがて独立して自分で商売を始めることにつながっていきます。