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第12章 人々に支えられ奔走した日々

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きもの英・創業物語
~ 聞き書き・武田豊子一代記 ~​

第12章 人々に支えられ奔走した日々

弊店が外の会場を借りて展示会を始めたのは新店舗オープンからほどなくの頃です。といっても、経費節減のため準備は夜中、什器の搬出もすべて社員総出で行うという、まさに手づくりの催事です。さらにこれが軌道に乗ると、地方で展示会を展開することを始めましたが、こちらも社員総出が基本で、朝早くに商品を車に積んで東京を出発し、夜中に準備をして翌朝から開催、終わってから片付けをして夜中に車を飛ばして明け方に戻ってくるという強行軍でした。しかも翌日は平常営業です。また、当時は今のようにビジネスホテルに泊まることもせず、会場の反物と反物の間に貸し布団を敷き、段ボールを積み上げ男女の境をつくって眠ったそうです。食事さえ、鍋や電気釜を持参して会場で煮炊きするのが普通だったとか。今では考えられないことばかりですが、当時の母たちは心からそういう生活を楽しんでいました。会場で若い夢を語りあいながら眠り、文字どおり同じ釜の飯を食べた日々。あふれる情熱とバイタリティのままに突き進む一体感に支えられながら、母たちは無我夢中でひとつの会社をつくっていったのです。
そしてどんな時も、母のまわりにはいつも、細やかな思いやりをもって支えてくださるお客様がいらっしゃいました。たとえば横浜での初めての展示会は、お客様の強い後押しがあり、お寺を会場にお借りして開催させていただくことができました。季節は真冬、あまりの寒さに難儀する母たちを見かねて、お客様がストーブをお貸しくださったことは、ずっと忘れられない思い出だそうです。また、名古屋にご縁ができた時にも、お客様がご自宅を販売会会場に提供してくださり、集客のお声がけから当日の接待まで、すべてお膳立てしてくださいました。こういったことを繰り返すうちにお客様の輪が広がり、明治生命ビルで展示会を開くまでになったのでした。

ほかにも、母の心に今もあたたかな記憶をとどめるお客様は数多くいらっしゃいます。母は足が不自由でしたので食事のために外に出ることが苦痛でしたが、それを知った神戸のお客様は展示会ごとに佃煮やおにぎりを差し入れてくださるようになりました。足によいという薬をわざわざ探してきてお世話くださったお客様もいらっしゃいました。

展示会を開催するたびに、訪ねてきてくださるさまざまなお客様のお顔を見ることは、母の大きな励みになりました。本来ならこちらから菓子折りを持ってお伺いし、お買い上げいただくのが常識の呉服業界で、お客様のほうから手土産を持って来てくださる、こんな恵まれた商売をさせていただけた呉服屋が他にあったでしょうか。心の底からありがたく、人情という財産ほど素晴らしく得難いものはないと母はことあるごとに語ります。