第13章 夢から夢へ、発展の軌跡
きもの英・創業物語
~ 聞き書き・武田豊子一代記 ~
第13章 夢から夢へ、発展の軌跡
たくさんの方々のご厚意と時代の追い風を得て、弊店は予期せぬスピードで成長を遂げていきました。開店当初はその広さに感激していた店舗も、4年もたつ頃にはどうにもならないほど手狭になり、もっと広いところへ移りたいという思いが、日に日に高まっていきました。
そんな時に母の目に飛び込んだのが、「売地・飯田橋」という不動産屋さんの貼り紙でした。すぐさま店に飛び込み、現地まで案内していただくと、わかりやすい角地なうえ広さも手頃で、母は雷に打たれたように「ここに店を持ちたい!」と思ったそうです。
そこから先は父の出番で、銀行との交渉の末、土地を購入しビルを建てるだけの融資を受けるまで漕ぎつけることができました。
そんな時に母の目に飛び込んだのが、「売地・飯田橋」という不動産屋さんの貼り紙でした。すぐさま店に飛び込み、現地まで案内していただくと、わかりやすい角地なうえ広さも手頃で、母は雷に打たれたように「ここに店を持ちたい!」と思ったそうです。
そこから先は父の出番で、銀行との交渉の末、土地を購入しビルを建てるだけの融資を受けるまで漕ぎつけることができました。
この融資の際のお話で、あとになってわかったエピソードがございます。
実は銀行内で融資を検討する人たちは“洗える着物”がこれから伸びるものかどうか、見当もつかなかったそうです。そこにたまたま勤務されていたのが、弊店のお得意様のご子息でした。そのお母様がご子息を通じて弊店の将来性に太鼓判を押してくださったことが、銀行の融資決定を促す大きな要因になったと伺いました。 これもまた非常にありがたく幸運なご縁でございます。
こうして昭和47年6月、夢にまで見た自社社屋が完成しました。34坪の敷地に5階建て、1、2階はガラス張りで間接照明を多用し、フロアには螺旋階段を設けるという、当時の呉服屋としては類を見ない斬新でデザイン性に富んだつくりでした。会社発足から5年、寝食を忘れて働いて、ついに得た自社社屋です。母も、また社員たちも、夢中で過ごして来た日々の感慨に胸を熱くし、また新たな出発点に立ったことに気を引き締めたことでしょう。
その後も日本で初めての洗える着物専門店として、「きもの英」の名は広まり、母は母で一人でも多くの人にそのよさを知っていただきたい一心で、忙しい商売の合間を縫って、取材だ講演会だと北へ南へ跳び回る日が続いていきます。
お陰さまでオイルショックと呼ばれた不景気にもさほどダメージを受けることはなく、弊店の着物をご愛用くださるお客様は、右肩上がりに増えていきました。また、こうした間にも母が顧客開発以上に専念したのは、より高品質であらゆるお客様のご要望に沿う商品の開発でした。