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ご贔屓さんのクローゼット

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  3. NO.88「日本舞踊への気持ちは、幼い頃からずっと変わりません」花柳寿月延さん

closet : 88
日本舞踊への気持ちは、幼い頃からずっと変わりません

10歳で日本舞踊を習い始め、19歳で二代目花柳流家元の内弟子に入られた寿月延さん。数々の大舞台に立たれ、優れた指導者としても活躍してこられました。傘寿を越えられた現在も、現役で娘の旭扇さんの教室を手伝われています。その気品あるたたずまい、穏やかな笑顔からも舞踊への愛があふれます。

日本舞踊にかかわる喜び

舞踊とはまったく関係のない家に生まれたにもかかわらず、日本舞踊がずっと好きで、親にせがんで花柳流の師匠のもとでお稽古させてもらうようになりました。やがてこの師匠が小唄のお稽古に専念されることになったため、花柳流二代目家元の内弟子に推薦してくださいました。お許しが出て東京に旅立ったのは終戦から少し社会が落ち着いた19歳の時。願ってもない機会をいただけたことに、喜びしかありませんでした。だって一日のほとんどが舞踊とともにあるんです。新橋の芸者さんたちがお稽古にいらっしゃるのを垣間見るのも華やかで楽しくて、ワクワクしたのを覚えています。また、お手伝いさんと一緒に家事をすることも楽しかったですね。家元の奥さまからはお行儀を一から仕込んでいただき、よい花嫁修行にもなりました。困ったことといえば、言葉でしたね。大阪弁禁止だったので、特に電話に出る時などは、とても緊張しました。

膝の故障を乗り越えて

大阪に戻り結婚後も踊り続け、旭扇がお腹にいる時も新歌舞伎座の舞台に立っていました。また、当時は日本舞踊を習われる方が本当に多かったです。弟子には穏やかにと心がけていましたが、旭扇にだけは厳しい師匠だったみたいです(笑)。年を重ねるとともに膝の関節を傷め、10年前に両膝に人工関節を入れました。今も痛みが出ず踊り続けられるのはありがたいです。これには担当のお医者さんも驚かれて、お稽古風景や舞台の様子を撮影されて学会で発表されたほど。とはいえ筋力が落ちて昔はできた所作ができなくて悔しい思いをすることもあり、どう表現したらいいだろうと一人で工夫します。昔も今も踊り中心の毎日ですが、活動的な娘から、刺激をもらうことも多いです。これからも、娘を手伝いながら、無理のないペースで生涯現役が貫ければいいですね。

私のお気に入り

世代を超えて、50年のおつきあい

きもの英との出会いはもう、50年くらいになるでしょうか。知り合いの紹介で展示会に連れて行ってもらって手にして以来、その扱いやすさ、品質の素晴らしさのとりこに。こちらの大島紬調のものは初期に購入したものですが、ずっと愛用し続けています。もう一枚は、母が気に入っていたもので、今では私が着ています。母もきもの英のファンでしたから、私、そして娘へと三代で引き継いでいるものもたくさんあります。それでも全然劣化が感じられないんですよ。

立場上、欠かせない紋付

花柳流を代表して舞台に立ったり、家元の舞台や流派の発表会のお手伝いに飛び回ったり、さまざまな形で流派のサポートをしてまいりました。楽屋に出入りする時は、紋付の着用が欠かせません。実をいうと、私は自分自身が華やかな舞台に立つことよりも、お稽古したり裏方で支えたりするほうが好きなんです。紋付姿できびきび立ち働くのも楽しかったですね。どんな時も気が引き締まる装いでありながら、洗えるという安心感があるのは素晴らしいです。

お稽古からお出かけ着まで

お稽古の時はもちろん、知り合いの舞台を見に行くなどの、ちょっとしたお出かけにも活躍してくれるのが英のきものです。古典柄でも、どこかすっきりと垢抜けているので、着映えがするんですね。帯を替えるだけで気分も新鮮になりますし、お天気のよくない日や汗をかきそうな日も、迷いなく着て行けるのが嬉しいです。

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