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ご贔屓さんのクローゼット

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  3. NO.105「古典落語の世界に寄り添いたくて、落語家になりました。」春風亭正太郎さん

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古典落語の世界に寄り添いたくて、落語家になりました。

保守本流の正統派として高い評価を受ける正太郎さん。明治学院大学の落研から塾講師を経て2006年4月、24歳で春風亭正朝師匠に入門、2009年11月に二ツ目に昇進されました。ひとつひとつの質問をしっかりと受け止め、時間をかけて答えてくださる姿からも、ひたむきに芸と向き合う姿勢が伝わります。

落語の描き出す世界に魅せられて

中学の時に一度だけ舞台で落語を披露する機会を得たのをきっかけに、高校時代はあちこちの寄席に通いつめました。大学で落研に入って本格的に演る側になったわけですが、まさかプロの落語家になるとは思いもしませんでした。趣味のひとつでいいやと思っていたはずなのに(笑)。理由をつきつめれば、とにかく古典落語の世界が好きでたまらないということでしょうか。その芯にあるのは、人情ですかね。受け継がれてきたやさしさとかあったかみとか、人と人のつながりとか、今でも通じる大事なものをさらっと描いているところに惹かれます。落語家といってもいろいろなタイプがいて、自分自身を表現する手段に落語を選んだ人も少なくないですが、私は落語そのものが好きで、その世界に寄り添っていたいから落語家になったんです。もちろん笑ってもらえれば嬉しいけれど、それよりも人間を描くのが楽しい。もし落語家以外にこの世界を表現できるものがあれば、落語家でなくてもいいと思っているくらいです。

目標は老いてから大成すること

私はいわゆる昭和の名人たちを寄席で見ることができた最後の世代かもしれません。十代の頃にそんな師匠方の話芸を間近に聴いてきたのが、今の自分の素地になっていると言い切れます。初めて師匠を訪ねた時に、「どんな落語家になりてえんだ」と聞かれて師匠を含め好きな落語家の名前を5〜6人挙げたら、「お前のやりたいことはわかった、でも一番難しいぞ」と言われました。確かに難易度の高い道を選んだと思いますし、今でもどうしたら近づけるかなんてわかりません。ただ、極論でいえば今は人気はいらないんです。落語家の本分は50、60歳になってからだと思っていて、若くしてピークがくるような芸にはしたくない。それを逆算して「あの人上手だね」って言われるために、今はひとつでも多くの噺を覚えて基礎をつくっていくしかないと思っています。

私のお気に入り

二ツ目昇進の記念につくった紋付

特に若手の頃は暗い色を身につけると芸が沈んで見える気がするので、意識して明るい色を着るようにしていました。加えて、もともと春風亭一門はみんな明るくて派手な色の着物が好きな気がします(笑)。この色も顔にぱっと映えてさわやかで、二ツ目の門出にふさわしいものになりました。もちろん渋い話の時にはそれなりの、黒紋付や鮫小紋を着たりもします。二席演る時には、一席は明るい色、もう一席は渋めの色と着分けることが多いですね。

ヨーロッパ公演記念の贈りもの

2017年11月に柳家喬太郎師匠とふたりでデンマーク、アイルランド、英国、アイスランドの4カ国をまわるヨーロッパ公演をしました。話が決まった時に、はなむけにとファンの方があつらえてくれた着物です。今のところ海外での公演経験はこの1度きりですが、思った以上に反応も良くて、落語をやっていてよかったと思いましたね。この時は「反対俥」を演りました。今もこの噺の時に着ることが多いです。

江戸の風情を伝える縞柄

オーソドックスな縞柄ですが、ありそうでなかなかない色あいで、しゃれっ気がありますね。この羽織の色がまた何にでも合うんですよ。縞は何枚か持っていますが、若旦那が出てくる話によく着ます。あと、英の洗えるきものといえば濃い色の絽の長襦袢は本当にいいですね。なにせ高座は暑いですから、夏はそのまま、それ以外の季節も衿を塩瀬に替えて、1年中身につけています。

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